戦国時代への興味~戦国三十六景への誘い~

 戦国時代に尽きない思いがある。この時代は人間の欲望が生の形で蠢いていただけに、平和な時代では考えられないような人間が活躍した。松永久秀のように己の欲望に正直なまま生きて結果破滅した者もいれば、毛利元就のように自らの知性を謀略に使い切って子孫に美田を残した者もいた。

 

 

 彼らの生きざまは全身これ欲望そのものにも見える。同時に乱世を憂いていればこそ、新しい時代を築こうとした。武田信玄信濃攻略をきっかけに領土を拡張していったのは、後々京に上洛して天下統一への旗幟を鮮明にするための下準備だったとも言われている。織田信長が美濃(現在の岐阜県南部)を攻略した際その城下を岐阜と改めたのも、古代中国で天下統一の拠点となった岐山を意識したものだというのは今や通説となっている。決して己一代の欲望のためだけではなく、後世を視野に入れた戦略を立てていたわけである。

 

 織田信長の登場とその台頭によって、それまで混沌としていた各地の勢力争いは一気に淘汰されていくが時代の始まりからその終わりまでは実に100年もの歳月を要した。その間、さまざまな武将が現れては活躍しあるいは空しく散っていった。一つの時代をどう捉えるか。それは視る者の視座によってはっきりも捉えられるし、歪んで映りもする。この時代を単に新しい治世の前の端境期くらいにしか見ていると、信長以前の武将を自らの領地拡大のためにしか生きてこなかった愚かな輩と誤解する恐れも生じてくる。むしろこの時代がどう移り変わっていったかと捉えることが、正しい歴史の見方といえるのではないか。

 

 この稿では、「戦国三十六景」と題して、戦国時代を生きたさまざまな人物像を活写してみようと思う。ただし、筆者もたったの三十六人でもって戦国の世を語りきれるなどとは思っていないので、以降続編でもって補筆していくつもりだ。まずは時代の息吹をどこまで書ききれるか。自分なりに挑戦してみようと思う。